アーティスト

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1895

藤田は喜んで若き板東にパリでの生活について伝授し、あらゆる友人や、契約していた画商ジョルジュ・シェロンにも紹介した。坂東の方は先輩に対し深い憧憬の念を抱き、また、ドランブル通り5番にあった当時の藤田のアトリエを数ヶ月の間、共有で使わせて貰う恩恵にあずかった。当時藤田の妻はモンパルナス中の画家や関係者を知る芸術家のフェルナンド・バレだった。坂東は藤田よりもずっと目立たない性格だったが、自然体のエレガンスをまとい、堂々たる身の丈と魅力的な人格で、藤田のアトリエに出入りする多くの友人やモデル、訪問者達を魅了した。シェロン画廊で開催された初めての作品展はモンパルナス画壇やパリの批評界の好評を得た。藤田のアトリエを辞した後、坂東は1925年までに、ウディノ通り23番、ボワソナード通り20番の2、ラスパイユ大通り207番、ダゲール通り22番と、モンパルナスで数か所のアトリエを移った。ダゲール通りのアトリエで大家のモンジョ夫人はモデルを務め、坂東を支援した。

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1925

1938年、パリのグヴィオン・サン=シル大通り23番にアトリエを構えた後、パリ近郊サン=ドゥニ市のダンフェル=ロシュロ通り15番に、そして1940年再びパリのニコロ通り13番に移り、終の棲家とした。度重なる引っ越しは全く板東の制作を乱すことはなく、50年にわたり、画風や画法は比較的変化が少ない。後にやはり画家となる一人娘君枝の誕生を坂東は大いに喜んだ。

1972年のクリスマス、坂東はパリの自宅階段で転倒し、深刻な転倒の衝撃から回復することなく1973年3月1日に帰らぬ人となった。

板東は、1994年に没した妻の傍ら、ペール・ラシェーズ墓地に眠る。

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アーティスト紹介

板東敏雄の世界に足を踏み入れると、親密で洗練され魅惑的な世界を旅するかのような感覚を覚える。坂東自身そのような世界と故郷日本への愛着は非常に強かった。身近な環境から孤高の瞑想やインスピレーションを豊かにする糧を得て、身の回りの世界を構成する物や人物、風景を得意の画材とした。
板東敏雄の作品は数多くの個人コレクターや複数の美術館が所蔵し、また画家自身が目立たない生活を好んだこともあり作品はほとんど公に出ず、画業は一般にあまり知られていない。まるで隠遁するかのように、坂東は過ぎゆく日々を見つめ瞑想し、社交よりも家族生活を優先した。歴史的な画商ジョルジュ・シェロンと契約関係にあったが、シェロンの死後、他の画廊に所属することなく独立の道を選んだ。現在編纂作業中の板東敏雄外題付き作品総目録(カタログ・レゾネ)や、目録作成や解明を可能にした遺族の元に残る貴重な資料は、この埋もれた芸術家の再評価に欠かせないものである。

板東敏雄は1895年7月16日、日本の徳島に生まれた。二つの武家の流れを汲む武士の孫として、先祖への誇りを抱き、誠実さと寛大さを受け継いだ。父、板東保太郎(やすたろう)、母、ノムラ・サキの子として生まれ、本名は保(たもつ)。1922年7月にパリに渡り、まずカルティエ・ラタン地区のオテル・ド・ニースに滞在、ボザール通りを経て、モンパルナスに居を移し、知人の勧めにより藤田嗣治と出会う。当時、藤田は既に滞仏が10年に及び、知名度も非常に高く、サロン・ドトンヌ会員で、モンパルナスに集う画家達の尊敬の的だった。二人はすぐさま篤い友情で結ばれる。

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1895

1925年、坂東は終にモンパルナスを離れ、閑静なピエルフィット=スル=セーヌにあるド・ラ・フォンテーヌ通り19番の家に引っ越した。1931年、パリ郊外イヴリーヌ県のギャレ=ヴィレットに移り住んだ(終生この家を持ち続けた)。フランス人の若手ピアニストと結婚し、1931年の画商ジョルジュ・シェロンの死後は特に勤勉で静かな人生を送った。

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1940

板東敏雄は、モンマルトルからモンパルナスに亘って拠点を置く、国際色豊かな画家の大家族といえる偉大なエコール・ド・パリの一員である。彼らはサロン・ドトンヌやサロン・デ・テュイルリ、サロン・デ・ザンデパンダンに風景画や人物画、肖像画、親密な情景の作品を、個性豊かで独自の道を行き、断固として近代的な画風で描き出品した。まさに他の追随を許さない、世界随一の芸術の都としてのパリの地位をエコール・ド・パリが確固たるものにした。
板東は藤田と共に、パリで画業を全うしようと考えた数少ない日本人芸術家の一人だった。
戦間期にパリに留学した日本人画家は数百名にものぼったが皆、最終的には帰国して日本での地位や職に戻って行った。しかし、坂東と藤田だけは他の者と違って、フランスの地を自ら選択して終生、卓越した同化を見せ、選択の地、パリにて自身の芸術を生み出した。

1973.